「M&A」は、「合併・買収」ともいわれ、わが国では古くから、主に大企業を中心に業界再編や事業再編、そして経営不振の企業の救済など、さまざまな目的で行われてきました。
 近年では、中小企業の事業承継のひとつの手段としても、盛んに利用されるようになってきました。
そこで今回は、日本における「M&A」の歴史について見ていきたいと思います。

日本における「M&A」の歴史

 

日本における「M&A」は、戦前から現在まで、大きな節目ごとに、それぞれ特色のある「合併・買収」として行われてきました。以下、時代ごとに見ていきましょう。

20世紀初頭から終戦まで

 

「20世紀初頭から、我が国の「M&A」は本格的に行われるようになりました。当時は主に、三井・三菱・住友といった同族の財閥系の会社が、官・民を問わずさまざまな業界の多くの企業を「合併・買収」し、その傘下に収めました。
 当時の基幹産業であった、石炭その他の鉱業、造船など、ほとんどはこうした財閥系企業のもとにあったのです。 
 その「合併・買収」の方法も、今でいう「敵対的買収」、「買い叩き」といった強引なものも少なくなかったようです。
 その後、業界再編が頻繁に行われました。電力、製紙、ビール、そして製鉄などでの再編が代表的なものです。
 また、財閥系以外の企業も、盛んに「合併・買収」を行うようになってきたのもこの頃です。商社系企業や、現在の日産自動車も、本業以外のさまざまな業種の企業を傘下に収めています。
 この時代の「M&A」の特徴は、財閥系の大企業を中心としたコンツェルンなどの形成です。

戦後からバブル期まで

 

「戦後はGHQによる財閥解体により、多くの経営組織が分割されました。その後の高度経済成長期には、企業の業績が右肩上がりであったため、その雇用形態など、経営体制が安定したこともあって、「M&A」はやや下火の状態でした。
 2度のオイルショックも、各企業の自助努力や円安傾向もあり、大きな「M&A」による業界再編、事業再編はあまり見られないまま、バブル期を迎えます。
 この時代は、高度経済成長から安定期に入る頃で、企業経営も比較的安定しており、「M&A」の必要性もあまりなかったようです。

バブル期

 

「ふってわいたようなバブルが始まると、株価の高騰、円高、規制緩和などから、海外企業を対象とした積極的なクロスボーダーの「M&A」が盛んになりました。
 この時代の「M&A」は特殊な事情によるもので、明確な経営戦略などに基づいて行われたものではなかったので、のちに海外からの撤退など中途半端な結果に終わりました。

バブル後から現在まで

 

「バブル崩壊による長期の不況の中で、金融機関、証券会社、そして個々の企業が不良債権、過剰設備・過剰人員削減のため、業界再編、事業再生としての「M&A」を盛んに行うようになりました。また、この頃からIT企業が台頭し、これらの企業による「M&A」も盛んに行われるようにもなりました。
 こうしたバブル崩壊後の「M&A」の活発化の要因のひとつに、持ち株会社の解禁、その他の法整備や体制の整備などがあったことです。
 その後、村上ファンド、ライブドア事件などによる「M&A」に対する不信感や、リーマンショックによる世界的な不況により一時下火になります。しかし、ここ数年、アベノミクスによる景気回復などから、再び企業が経営戦略の一環としての「M&A」を行うようになっています。
 また、中小企業における、経営者の高齢化や後継者難といったことから、事業承継としての「M&A」が利用されているといった状況です。

 

「最後に、これからの「M&A」の動向としては、ますます盛んになることが見込まれます。なぜなら、我が国のほとんどを占める、中小企業では経営者の高齢化および、後継者難といった事業承継上の問題があります。そして少子化による労働力の不足、さらなるITの進展による業界再編、経営戦略上の課題解決法など、「M&A」が有用であるからです。
また、こうした少子高齢化により、国内市場は益々縮小していくことが予想されるため、海外市場、海外企業を対象としたM&Aが再び活発化してきています。
 なお、文中で、戦前においては「合併・買収」とし、戦後については「M&A」と表記いたしました。